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なんとなくの、一例として。
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    askで貰った質問に回答してたら、文字数オーバーして。
    質問者の方の意図とはたぶんずれているから、整理してきちんと収めた方がいいかな…と思ったんですけれども。
    長文のまま残しておきたくなったので、こちらに書き残しておきます。

    まあ、今のオイラの気持ち…ということで。
    余計な話にすぎないんだけど(^^;

    経緯としては、オイラ自身の中で「批判に呼応するように物事を見る」ことに嫌気がさした、というのが大きいです。
    人に対しての「批判」に立ち向かおうとすると、結局、対象の粗探しになっちゃうんですよね。
    そっちも「これ」できてないじゃん!「ここ」がダメじゃん!みたいな。
    でも、そーゆー見方もどうだよ?って自分で思えて。
    そして、結局のところ、外野がどうこう言おうが、そういう外側から「ダメだ」って言われちゃうような部分も含めて、嵐の人たちはまるっと「認めてる」んだよなぁ。って、すごく当たり前のことに気付いたのです。

    他人がどう言おうが、捉えようが、彼らは彼ら自身が大好きで、それぞれの多様な部分も含めて、「認めて」一緒に仕事をしているし、唯一無比の味方だとお互いに思っているんですよ。
    そして、そういうことが、ただ彼らを見ているだけのオイラにも伝わってくるんです。
    だから、大丈夫だと思って。
    誰に嫌われようが、どれだけ侮られようが、一番身近な人たちはお互いにとっていつでも味方であって、どんなときでも認めてくれる人たちで。
    そんな自分たちであることを隠そうともしない彼らであるから、彼らを好きな人には自ずと伝わっていくと思うし。
    自担はいつも笑って、一緒にいるんだと思うのです。
    常に一番大事な場所に「嵐」というグループを、「嵐のメンバー」を入れているのは、そういうことなのだと思うのです。
    (だって「同じ方向を向いてない人たちが一緒に仕事をする」のを一番嫌がる人なんですよ…)

    そういうことをちょっと自分なりに書いておきたくなったので、ちょっと便乗して書いてしまいました。

    久しぶりの更新が、こんな内容で申し訳ない感じですが(^nn^;)
    ちょっと勢いで投稿します。

    トウッ!←
    *自分の好きな人を褒めるためにグループやメンバーに誹謗中傷まがいのことをしている人をどう思いますか?そういうことをしている人はどの担当にもいますが、嵐だと1人のメンバーに特にそういう人が多いイメージです。もうすぐデジコンの円盤の発売ですが、またレビューが正当性のない批判で荒れるのではないかと心配です。*
    http://ask.fm/springbears/answer/129053832165

    こういう質問が来ることとか、「1人のメンバー」とぼかしていても、「ああ、あのメンバーのか…」と思ってしまうところに、なんとなく「基本的に触れないし、触れたくないし、それぞれに思うところはあるけどわざわざ表明するのも…だし、遠巻きにしておいた方が無難だな」あたりで定着してしまっている一定の評価みたいなのを感じます。
    (なので、ちょっと、その各々のボーダーラインを越える事象が起きたときに、ふわっと表面化したりしてますね)

    「誹謗中傷」とか「正当性のない批判」あたりに対しては、「人を呪わば穴二つ」っていう言葉がありましてね…。
    という話をしてみたくなります。
    例えば、ただの感想として「Aはおもしろくない」と言葉にしたときに、意図的でなくてもその「Aをおもしろい」と思った人のことを傷つける可能性をその言葉は常にはらんでいます。
    また、その「傷ついた人」が受けた傷の度合いによって、逆に発言者へ攻撃が向かってくる可能性があるのも当たり前のことです。
    究極的なことを言えば、否定に限らず、肯定でも同じで、「言葉にする」ということは、誹謗中傷だろうが正当性があろうがなかろうが、発した側にその意志があろうがなかろうが、受け取り手次第で鋭利な刃物にも、全てを包み込む毛布にもなりえる行動だということです。
    そして、発言者と受け取り手が別々の人間である以上、発言者は受け取り手の感情をコントロールすることはできません。
    いくら発言した側が「そんなつもりはなかった」と言っても、他者が「自分の意図とは違う解釈で受け取った」ということは事実なんです。
    その齟齬を埋めるのは、自分とその対象となる他者との日頃からのコミュニケーションだったり、その人自身の行動であったりするのだと思います。
    全く違う人間同士である、「私」と「あなた」の間で、きちんと意図通りに会話が成立している/誤解が生まれないというのは、それだけお互いに信頼関係や理解があるからだとも言えると思います。

    私は、そういう信頼関係が「嵐」と「ファン」の間にも進んでいけばいいと思っています。
    そして、現実的に私があまり悲観していないのは、今、嵐がファンに見せてくれるお仕事のほとんどが、私が昔から見ていて好きになった嵐の姿から何ら変わっていないからです。
    「何ら変わっていない」と言うと語弊もありますが、年齢と共に成長を重ねて、改めて私たちに見せようとしてくれている姿に、それでもなお私が好きになった彼らの根本的なものが何も変わっていないことをも確認させてくれるのです。
    彼ら自身が仕事をする中でも余裕が生まれ、ファンに対しても肩肘を張らず再び信頼を預けてくれるようになったと思っています。
    彼らの口から軽口が飛び出してくるのが嬉しいし、周りを気にせずお互いをぞんざいに扱う姿がまた見れるようになったのも嬉しいのです。
    決して「いい子」ではなく、生真面目だけど、仲間を大事にして、お互いの意志を尊重し、自分ができることを率先してやり、気遣いあって、時には頑固にも自分らの意志を通していく。
    そういう万能ではないけれど、人間らしい彼らのことを好きになったので。
    そして、そんな姿は、今、「嵐にしやがれ」やPVのメイキング、そしてBLAST in Hawaii時の各種ドキュメントや今度発売されるデジタリアンの「スッピンデジタリアン」でも見れる(だろう)し、今後もそうやって知っていけるだろうと思っています。
    当事者である嵐のメンバー5人が見せてくれる姿が全てですし、そうやって彼らがファンに見せる姿で、自ずと淘汰されていくだろうと思っています。
    常に「今の」嵐の姿を見せてくれる機会を用意してくれているし、今までよりもより自らをファンに発信しようという意思が見えているし、私が好きになった嵐の人たちは、きちんと知れば知るほど好きにならざるを得ない人たちだと思っていますから。
    結局、ファンを変えるのは他でもない彼ら自身だとも思っているし、もうしばらく時間はかかるかもしれませんが、多くの魅力を持っている彼らのこと。自ずと彼らを好きな人をより魅了していくのではないかと思っています。

    長くなっていますが、もう少し。
    この機に乗じて、私の話をさせてください。

    自担の話をするときに、私が意識していることです。
    私の自担は、素直な人ではないです。ひねくれすぎて逆にわかりやすくなってるけど!?ってぐらいまっすぐに素直で判りやすい反応を見せる人ではないです。
    基本的に照れ屋でカッコつけなので、彼自身の美学でもって見せたくない面をこちらに見せようとすることもありません。
    また、グループ内でツッコミを担当しているので、ときには言葉が行きすぎたり、キツイと思われたり、性格が悪いと思われることがあります。
    彼は自らそういう役割を担っているし、彼のことを知らない他人から「そう」思われてしまうのも仕方がないことだと思っています。
    それに、前述したとおり「キツイ言葉」は、意図してない他人をも傷つけることを否定できません。
    「傷を受けてしまった人」に対して、「傷をつけた側」が一方的に「自分の側の理屈」だけを押し付けることもできないと思っていますし、彼自身も判っていると思います。
    そして、そんな彼のファンである自分は、酷いこと言ってるなーと思えば「酷い」というし、なんらかの意図が見えれば言葉にするようにしています。
    完全に自己満足ですし、そうしたから何がどうなる…というわけでもないと思っていますが、どこかで「傷を受けた人」の溜飲を下げられることになればと思っているのも確かです。
    お互いに信頼や愛情がなければできない言動の数々が、ちゃんと「そういうものである」と知ってもらえるといいな、と。
    そして、なによりもそういう彼のことを誰よりも一番受け入れてくれているのが、嵐の他のメンバー4人である、というところも含めて、彼の決して素直ではない愛情表現や仕事での立ち回りが、捻じれることなく伝わればなと勝手に思ってしまうので。
    彼自身、自分がどう思われてもいい、誤解を受けようが関係ない、こういう人間だと規定されたくないとか思ってるだろうなーと思うので、ファンである自分があれこれ周りに押し付けるようなことをするのもおこがましいし、望まれてもいないと思うのですが(笑)。
    それでも、どこかで私の言葉に触れたことで何らかの溜飲が下がったり、彼のことを知ってもらえる一助になればと思っていることは否定できません(爆)。
    彼が誰に誤解を受けようが、他所でなんと言われようが、私が彼を好きなことに変わらないし、他人から「ダメだ」と言われることでも、私にとっては魅力的で好きな部分だったりするので、もうそれはしょうがないんです。だって好きなんだもん。
    彼を嫌いな人にまで、私が好きな彼のことを好きなってもらおうとは思いませんが、私から見える彼の姿は「こうだ」って示しておきたいし、そういう彼のことを「私が」好きなのだと言っておきたいというエゴでもあるので。
    彼もただの人間でもあるので、いろんな側面があるし、メディアに出ている以上、いろんな切り取られ方をして、受け取る人によっていろんな風に解釈されています。
    その中でも、「私が捉えた私が好きな彼の姿」というのを示しておくのは、意味のないことにはならないかな…と思っています(おこがましいのはおこがましいですが…)

    なので!
    1つの提案なのですが、「批判」に批判で返しても、そこには批判しか産まれません。
    また10人が10人とも満足できるエンタメ作品もありません。
    ダメなところを見るのは、そういう積極的に批判をする人たち任せて、いいところ、好きなところを言葉や形にしていくのはいかがでしょうか?
    偏ってても不完全でもいいじゃないですか。ここはちょっとなーと思うところがあってもいいと思います。
    荒れないかな…と心配するよりも、いいところや好きなところがあれば、そこを大事にして、できれば言葉にしていけばいいんだと思うのです。なかったらもうしょうがないし、意識せずともそういう言葉があふれてくるのが一番の理想なんでしょうけど。
    イイとこもダメなとこもあるのが自然で、どちらかだけに偏るのは個人的に居心地悪く、窮屈に思えます。
    有無をも言わせずに「好きだ」とファンに思わせるのが、彼らの仕事の一番の理想の形なのではないかと思うし、そうするために今頑張っている…とも思っているので(笑)
    理解し合えない人と張り合ってもしょうがないですし、その辺はタレント自身の態度や行動で自然と淘汰されていくものだと思います。
    せっかく、今の彼らの姿を彼らの方から積極的に提示してくれている時期です。そのことを思いっきり質問者さん自身が楽しめればいいなと思います。

    長くなったうえに、回答がずれていてすみません。
    | [嵐]アラシガタリ | comments(0) | - |
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