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100回目。
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    一途連載100回目、おめでとうございます!

     

    …、ということで。

    とうとう節目の100回目だ!

     

    ホントは、99回目のスペシャルのときもちゃんとブログ書いておこうと思ったんだけど。

    なんかタイミングを逃しまくった結果、100回目の日が来ちゃって。

    そしたら、ここ最近、ぐるぐるしてたことがいっぱい詰まってたから。

    書いておくことにした。

     

    発売日だけど。

    がっつり中身に触れてるので、ネタバレ注意。

     

    □「終わる」ということ。

     

    100回記念、というスペシャル号で、語っていることが、「終わること」と「伝えること」について、というのも。

    すごくらしいなぁって、同時に思っちゃったりもするんだけど(笑)。

    んでも、思い返せば、結局のところ、ここ最近二宮さんの中でずっと抱えてたことでもあったりしたのかなぁとも思った。

     

    「海は今も嫌い。広くて終わりが見えないから」

    って、なんか、すげー、詩的だな!って思っちゃったんですけど。

    連載のことに触れて。

    「それから、これがいつ終わるのかが気になった。何ごとも始まりより終わりの方が大切だし、記憶に残るものだから。答えは見えなかったから、そのうち考えなくなったけど(笑)」

    っていうのも、二宮さんらしいなぁと捉えた。

     

    撮られるのは仕事だけど、やっぱり苦手だし。自分について語るのは、はっきり言って嫌い(笑)。

    でも、たぶんここでは嫌じゃなかったんじゃない?

    自分の性質上、本気で嫌なことは続けられないし、終わりのことをずっと考えてたはずだから。

    月一回続けるうち、日常になった。

    結局、8年間続けてきた、この時間が全てだと思う。

     

    自分が続けられること。8年間続けられたこと。

    そうした時間そのものが、答えだっていうこと。

    「当たり前」の日常になれば、好きも嫌いもなくなる。

    嫌いじゃないってことは、好きだってこと。

    好きじゃないかもしれないけど。嫌いじゃないって、そういうこともあるよなぁ。って、思ったりした。

     

    言葉を届ける仕事といっても、メディアによって全然違うものだなと。

    ラジオはオレにとって、あくまでも"楽しいおしゃべり"って感じなんだよね。

    その時、その気分のノリで話して、リスナーの方々に楽しんでもらうのが目的の番組だから。

    基本、自分は自由気ままに発言するからねって、スタッフには言ってあるし(笑)

     

    ベイストにしても、テレビのことにしても、雑誌にしても。

    ある程度の信頼を預けてるのかなと思うこともある。

    メディアの中で、「二宮和也」を形作るのは、二宮さん本人だけではなくて。

    彼が発言したり、行動したりしたことを切り取って発信する人が、間に必ずいるから。

    演技をする場所ではなく、「二宮和也」として、存在するときに、「OK」と「NG」の判断は、二宮さんだけができることじゃない。

    二宮さん自身がOKでも、ダメだと判断されることもある。

    それは、番組や、その目的の中で相応しくないと判断されるだけの理由があってのことで。

    そういう世界の中で生きているから。

    求められることに応えることも、自分を出すということにも、彼自身の調整もありつつ、最終的な判断は委ねるしかないっていうところで。

    たまに、そこで本当にダメなら切るでしょう。というところの信頼を、そのスタッフさんたちに渡して行動してるのかなって思うことがある。

    オイラがメディアから受け取る「二宮和也」っていう形は、色んな人の手を介したもので。

    だからこそ、その時々でたまに漏れてくる「素」っぽいものを見つけて、萌えたりもするんだけど(笑)

    そんな中で完璧に整えられたものじゃなく、きっとにの自身が魅せたい形と合致しているんだろうなって思えるようなお仕事が、レギュラー仕事になっているのが嬉しいんだけど。

    こうやって「自分は自由気ままに発言するからねって、スタッフには言ってあるし(笑)」って発言を読めて安心できてしまうところも、そういうことなんだろうと思った。

    お仕事をする相手が、ちゃんと理解してくれてる、とか。尊重してくれてるんだろうな。っていうところ。

    ありがたいよなぁって思う。

     

    そんで。

    発言内容が慎重になったよね、っていう話。

     

    ーー「波紋を呼んでも、誤解されても、面白いことが言いたくなる」と言っていたニノは、もういない?

    いや、今も根っこが変化したわけじゃないけど(笑)

    仕方ないよね。

    この8年間で、想像異常に嵐は多くの人に認知されて、影響力も大きくなった。

    本当にありがたいことだよ。

    でも、それに比例して、何気なく発した言葉でも誤解を生んだり、重く受け止められたりする可能性が多くなった。

    時代の変化もあるよね。

    今は、芸能人に限らず、会話の言葉尻だけとらえられて、すぐに人の口に上っちゃうから。

    言葉に込めた本意はもちろん、遊び心も伝わらないんだろうなと。

    そう思うと、オレ自身っていうより、周りが慎重にならざるをえないのはわかる。

    ーーゲームニッキをやめたのも同じ理由。

    自分で書いても、自由に表現できなかったり、何気なく書いた言葉が間違って伝わったりする可能性があるしね。

    でも、それは必然で、別に悲しいことだけだとは思わない。

     

    ここで、思い浮かべたのがあゆはぴパンフのことだったので、持ってくる。

    (っていうか、あゆはぴパンフにも触れたいところいっぱいあんのだよ!)

    (自分で曲を作らないのか?っていうのはすごい言われたけど)言われればいわれるほど、っていうかね。

    求められると、やりたくなくなっちゃうんだよ(苦笑)。

    やっぱり最初はね、「こんなこともできますよ」っていう自己アピールでしかなかった、というか。

    「ギターも弾けますよ」「曲も作れますよ」「そんな人なんですよ」っていう自己紹介、みたいなさ。

    その曲の世界観とか楽曲としてどう…っていうより、そういう感じだったと思うんだよね。

    だからそんなに需要があるものだと思ってなかったのね、ずっと。

    でも、ここ2〜3年ぐらい自分で作ってないんだけど。

    その辺りから、すごい言われるようになって。言われると…この性格だからさ(笑)

    今、全然曲を作ったりしてないんだ。

    だって…歌を聴いてないもん。嵐の歌しか(笑)

    歌が入っている曲って、嵐しか聴いてないなぁ。

    そういう音楽欲みたいなものが、今あんまりないんだよね。

    仕事をずっとしてるっていうのもあるんじゃないかな。

    たぶんね、昔は時間の余裕があったしさ、誰も(俺のことを)何も知らなかったから。

    だから、やっていた部分ってすごく多かったし。

    その時間もなくなってきて、自分の中でいろいろと噛み合わなくなっているんだろうね、きっと。

    音楽やっている人ってさ、何か表現したいからとか、自分の思ってることを聴いて欲しいから、っていう表現の欲求があるわけじゃない?

    でも俺、あんまりそういうのなかったから。

    詞を書くといっても…どういう内容でも書けるけど、でも歌えなかったりする。っていう意味では、アイドルって、表現が自由ではないってところもあるから。

    なんか…そういうところでずっとやってたから、自分の中では、詞よりも曲だったんだよね。

    最終的に、曲の方が優先度が高かった。

    だから、今回のソロも…歌詞にクレジットさせてもらってるけど、少し直したりっていうことをさせてもらってるだけだから。

    ほんと、音でずっと遊んでいた感じですね。かなりいじらせてもらってるし、歌い方とかもいろいろ考えて遊んではいるのね。その辺りは「う〜ん…」とかいって、結構悩んだりさ。

    そういう意味では…自分で作るよりも、力入ってるんですよ(笑)

    ほんとすごいよ、やっぱりプロのクリエーターっていうのは。

    曲作りで生活している人たちの次元っていうのは…やっぱね、全っ然違う。

    ほんと、自分で作らなくてもいいじゃん!って思ったもん(笑)

    それぐらい、やっぱすごい次元なんだなって思ったなぁ。

    あとね、なんか「こういう感じ」っていう自分の説明が、的確に曲に反映されて上がってくるようになった。

    そこは…俺もしゃべるのが上手くなったのかもしれないね(笑)

    なんか改めて読み返してたら、ちゃんと曲作りに参加してるし、自分が満足してるものを作れてるよっていうことを話してくれてるんだなって気付いた…(遅い)

    自分が表現したいものを表現できる環境にあるって、やっぱり幸せだし。

    そういう環境が整ってるっていうことも得難いことでもあるんだろうなぁって思う。

    でも、自作曲も聞きたいよ?(まだいう)(もはや、ここまで本人が言ってたら、なにがどう違うのかって感じなんだろうけど)

    (なんていうか、感じたい……二宮さんの手作り感……とか言ってしまって怒られそうな気もする)(誰に)(分からんけど)

    いやでも、自分の中である一定レベル以上のものを提供しなきゃいけないけど、自分でやるにはそこに到達できないし、今は作ってくれる人がいるし。

    表現したいものは、そうやって生み出せるから、それでいい。っていう風にも捉えられるのか。そっか。

    ……それはそれで寂しい……(いや、勝手な解釈すぎるけども)(でも、忙しいもんね時間ないもんねそういう歌自体からも離れてるってことならなおさらな;;←)

     

    それはともかく。

     

    アイドルとして表現する、ということにおいて。

    そのとき表現したいものとか、自分の名前で表現したものの受け取り方の範囲が、自分の手に負えなくなっている。っていうあたりのことを想像してしまって。

    結局のところ、去年はより一層、そういうことを感じた年でもあったのかなって想像してた。

    切ないなと勝手に抱く気持ちもあるけれど。

    別に去年に限ったことでもなく、何度となく、「ちゃんと伝わっていかない」っていうもどかしさ、みたいなものに触れることはあったから。

    オイラが受け取ったことが、彼らが伝えたいことと一致しているかどうかっていうのは、実際のところわからないけれど。

    いいことも悪いことも真剣な話も冗談も、それをそうとは受け取られない。

    ひとつの発言に対して、解釈も受け取り方も100にも1000にもなっていくような環境の中にあるのは事実だから。

    それに、最大公約数的な、受け取って欲しい人たちの多くの人たちが意図する方向で受け取ってくれてるだろう、っていう実感も、伝わりづらくなってるんじゃないかとも思うし。

    たったひとつのねじ曲がった解釈が、あたかも正解のように拡がっていくことも実際にある。

     

    自分の手に負える範囲がどこまでか、っていうのをずっと模索しているようにも感じてる数年でもあると思ってたかなぁ。

    去年末は、なんとなく、どっかで吹っ切れたものがあるのかなって思ったけど。

     

    結局、アイドルは発信することしかできなくて。

    ファンを選ぶことは出来ないし。

    ファンは、自分が好きだと思うアイドルを選ぶことはできるけど。

    そのアイドルに対して、自分が好きな形のままでいてくれと強要することはできない。

    人は変わっていくものだし、何年もの時を重ねて、変わらないものもない。

    だから、オイラは、ずっと、嵐にも二宮さんにも、自分がやりたいことや魅せたいものをし続けてほしいと思ってるし。

    そうやって、自分で選んだものが「正解」になるように頑張ってて欲しいと思ってる。

     

    いつか、彼らの「正解」が、オイラの「正解」とズレてしまうことがあるかもしれないけど。

    でも、それを選ぶ理由だとか、そうする意味が理解できるなら、オイラは応援できるだろうし。

    結局、好きを続けるんだろうと思っている。これは、06年あたりから、ずっとそうだから。

     

    だけど、なんとなく。

    うまく、多くの人が同じ翻訳機能を持てない今は、ちょっと寂しいなとも思ってる。

    たぶん、にのさんがこんな風に言ってることにも通じてると勝手に思ってるんだけど(笑)

    二宮さんを「知っている」からといって、「理解している」からといって、その形が、同じだとは限らないんだもん。

    他人を理解できるなんておこがましい、ってその通りだし。

    色んな形があるのが当たり前なんだけど。

    究極的なところで、まっすぐ届いていかないなって感覚が残ってしまうのは、寂しいって思ってしまうところだったりする。

    (とはいえ、オイラも、オイラが勝手に受け取っている解釈の像でしかないんだけどさ)

     

    バラエティは、単純にずっといちばん面白くて好きな仕事だから。

    今も続いてることは、嬉しい。

    そういえば、最近「ニノさん」では、制作ディレクターの名前や顔をもっとオンエアで全面に出すことはできないかって話してるの。

    この番組は、ディレクターを固定せずに毎回変えて、その担当者なりの企画に応えていくのが趣旨。

    いわば、ディレクターが影の主役だし、彼らの競争の場でもあるから。

    それなら、企画を作った人が前面に出た方がいいかなと。

    だって、キャリアに関係なく、いちばん若手がいちばんおもしろい企画を作る可能性があるからね(笑)

     

    今年に入って、ニノさんがリニューアルして、5年目だもんなぁ。

    いろいろテコ入れする時期だよなぁ。

    この変更って、どれくらいにのさんの意見が入ってるんだろう…。って、思ってたので!

    きっちり二宮さんの意見が取り入れられていると知れて嬉しかったです!(´ω`)!

    にのさんの自撮りがなくなったのも、ディレクター推しっぽい作りになったのも、そもそもの狙いってことか!と。

    ……いやでも、自撮りなくなったのは寂しい……自撮りは欲しい……

    でも、自撮りがあると、「にのさん」という共通項で収まるっていうのはなんとなく想像つく…。

    でも、でも…。

    なんか、企画に関わらず「二宮さんがやってる」っていう感じが欲しいんですよ!

    VTRを見てるだけの企画のときも、なんか人のネタをいじるだけの企画のときも、二宮さんが主体になる企画のときもさ。

    その、ディレクターさんが持ってきた企画に応えるだけじゃなくて。

    (いや、番組作りって結局そういうことなのかもしれないけど)

    視聴者側にも分かりやすく、毎回企画が変わるからこそ、二宮さん自身も能動的に加わってるっていうのが見れる場所が欲しいんです…←

    なんか、リニューアルしてから、二宮さんの受動的な部分ばっかりな気がしてさぁ…。

    んー…( ´ω`)ってなっちゃうんですよ。

    そういう意味で、自撮りは、二宮さんの能動的な動きが見れたからありがたかったの。

    別に自撮りじゃなくてもいいんだけど。

    その企画ならではの、「ニノさん」って番組で括れる何かも入れて欲しい…。

     

    (今年から参加のベテランディレクターさん)

    今回、いろいろ話したら、やっぱり面白い人で。

    年齢もキャリアも重ねてるのに、若い人より楽しそうなの。

    「今のニノがこれをやったら絶対おもしろいと思う!」っていう考え方なんだよね。

    すごく客観的に視聴者目線で見て、今の嵐がどういう存在なのかをよくわかってる。

    だからと言って、時代や世間の空気に媚びるわけじゃないんだよ。

    "今の嵐"を面白がりながら、「新しいことをやろうぜ!」っていうスタンス。

    それって、稀有なことだと思う。

    誤解を恐れずに言うと、正直、今の嵐は、作り手の方々にとって扱いづらい面もあると思う。

    影響力のこともあるし、キャリアもそれなりに積んでるから、番組では遊びづらいのかなって。だからかな?

    「今、これがはやってるからやりましょう」っていう視点の企画を提案される事が多くて。

    それも全然、否定しないけど、作り手側は楽しめるのかな?って。

    一見、視聴者目線に立ってるようでいて、実はそうじゃない気もする。

    例えば、ネットで流行ってることをやれば、ネットでは話題になるよ。

    でも、ただ、それだけのこと。

    ネットを見てる人じゃなくて、テレビを観てくれてる人に、「テレビって、やっぱり面白いよね」って思ってもらえるものは、どこかの流行りに後乗りするだけじゃ作れないと思う。

    その点、そのディレクターさんは、自分が生きてきたテレビの世界とタレントの可能性を信じてる。

    つまり、自分が面白いと思うことを信じてるんだなと。

    だから、経験を重ねても楽しそうに仕事してるし、結果、伝説の番組を生んでるんだと話して思ったよ。

     

    こーゆーのを読むと、ホントに二宮さん好きだー!!って思ってしまうんだけれども(笑)

    ものづくりについて、ちゃんと考えてて、自分たちの立ち位置や、見え方を俯瞰的に捉えられているようにも思えるから。

    それが実際のお仕事に、どんな風に結びついていくかっていうのは、また別の話なんだろうとも思うんだけど。

    ホントに、こういう風に考えてる二宮さんのこと、好きだし、安心できてしまうんだよ(笑)

     

     

    自分の未来について、ますます考えなくなったのは、これが正解だっていう道は、もうないからだと思う。

    どの道に進んだとしても、正解とも幸せとも限らない……。

    ほら、今の世の中って、残念なことに他人の不幸が好きなムードでしょ?

    たとえば、去年、SMAPさんが解散することになったとき、悲しむ人、嘆く人たちがたくさんいたのはわかるんだ。

    辛い気持ちはすごくすごくわかる。

    でも、解散が一概に不幸なこと、さも悪いことのように言われ続けるのは嫌だなって思った。

    というのも、これまで25年以上も日本のエンターテイメントを引っ張ってきた偉大なグループの最後を、どうしてそんな風な表現だけで言うんだろうって。

    大きな存在だったからこそ、いろんな人がいろんな感情を抱いた。

    大好きだからこそ、終わることを認めたくなくて、悲しみに囚われ続けてる人もいると思う。

    それでも、まずはSMAPさんがこれまで残してきた素晴らしい作品に敬意を払って、送り出すことも……って。

    今は、誰もがいくらでも無制限に発言できる場がある。

    だから、いろんな感情の中でも、マイナスな感情が増幅されて蔓延しがちなのかもね。

    でもさ、本来は情報とか感情って、安易に言葉にして垂れ流していいものだとは思えない。

    そういう場では発言の制限回数があるべきじゃないのかなって、最近改めて思う。

    考えてみて。もし、今、SMAPさんに会える機会があって、一言だけ言葉を交わすことができるとしたら、なんて言う?

    複雑な感情でも、いっぱい話したいことがあったとしても。

    オレなら絶対に、これ。

    「ありがとう」って言葉を伝えたい。

    解散したいと思ったことはないけれど、嵐だって、いつか必ず終わりがくるってことはわかっていて……。

    すべてそう。

    この連載だってそうでしょ?100回記念ってお祝いしてるけど、いつ終わりになるかはわからない(笑)

    未来のことは誰にもわからないんだよ。

    でも、いつか終わったとき、そこまで流れてきた時間に"ありがとう"って思いたいし、みんなにも思ってもらえたらいいよね。

     

    これこそ、「どう受け取られるかわからない」っていう最たるものだと思うんだけれども。

    去年の1年間。

    ーー、オイラが強く思ったのは、日アカで最優秀主演男優賞を受賞したスピーチで、ジャニーさん、メリーさん、ジュリーさんと3人の名前をだしたとき。

    二宮さん自身のなかにある感情を、思った。

    大切なものが、好きなものが、失くなってしまうことへの反発をぶつけるように、感情をぶつけられていた人たちだったから。

    どんな風に聞こえようとも、受け取られようとも。彼は、名前を出して感謝を言葉にせずにはいられなかったんだろうと思った。

    彼自身が感じていることに嘘はない。媚もない。ただ単に、そう伝えたいという感情を抱くに到るだけの、事務所へ向けられた蠢きを感じたんだろうと思ってたから。

    他の人がどうおもってるのかは知らない。でも、オイラが捉えている彼は、そういう人だったから。

     

    2016年最後のベイストでかけた3曲。

     

    愛を叫べ

    Bang Bang

    冬のニオイ

     

    これはオイラの勝手な解釈。

    でも、1年の終わりに。

    最後の日の前に。

    二宮さんなりのSMAPへの餞なんだろうと思って聴いてた。

     

    「このアイ・ラブ・ユーを親愛なる人に お前は今でもアイドルさ みんな大好きだぜ

    だから永遠に愛し合って コングラチュレーション 幸せに なってくれなきゃ困るぜベイベー

    素晴らしい未来へ 愛を叫べ」

     

    「夢に堕ちてゆこう 目を閉じて 運命は二人で決めればいい 秘密を分かち合って

    Bang Bang 脱ぎ捨てろ Bang Bang Bang Bang 身も心も

    Bang Bang 教えてよ Bang Bang Bang Bang 君のことを

    確かめたい もう逃げないで そのままで

    Bang Bang 近づくよ Bang Bang Bang Bang 触れ合うほど

    Bang Bang 熱くなろう Bang Bang Bang Bang 二人だけの

    夜を踊ろう 時間よ止まれ」

     

    「思い出さない時間が増えて 新しい出会い 期待もしてる

    全然 君がいなくても平気 It's my life

    いつか きっと また出会えるだろう

    見慣れた狭い街のどこかで

    そんなに上手くいくわけないかな It's my life

    なんて何度 心の中で

    わざわざ何度 くりかえしてる

    会いたいなんてさ 言えるわけないよ 今さら」

     

    本人が望んだ望まざるに関わらず、「決めたこと」に対して。

    過程がどうであれ、そう「決めた」という事実には変わりがなくて。

    そうやって過ぎていく時間に対して。

    どうか素晴らしい未来を。どうか幸せになってと愛を叫び。

    それでも、それでも、今この時間を。共に過ごせる時間を止めたくて。

    そして、きっと。止められない時間を過ごしても何度だって「会いたい」と思ってしまう。

    そういう風な感情を描いているように思って。

    複雑な感情を餞に残したように思っていた。

     

    ……って、こんな、オイラの勝手な解釈を。

    それこそ、ここで繋げていいのかって話でもあるし。

    どう受け止められるのか、オイラ自身判らないけれど。

     

    去年の1年で幾度となく、言葉の端々や態度の中に感じていたことは、あんまりズレていなかったのかも。と、これを読んで思ったので。

    とりあえず、置いておいてみる。

     

    間違いなく去年の一年は、彼の中に、嵐の人たちの中に、未来への何かを遺したと思っているし。

    きっと動かした何かがあると思っている。

    それを実感できる日がオイラに来るのかどうかは判らないけれど。

     

    それでも、何度でも、オイラは書く。

    ここに書いても何にもならないって判ってるけど。

    それでも。

     

    二宮さん自身が信じてなくても、わかんなくなっても。

    二宮さんの選んだ道は、あとから振り返って、正解だと思えればそれでいいんだと思ってるんだ。

    ふと思い返したときに、楽しかった、よかった、って思えることであれば、それが「正解」ってことなんだって思ってるんだ。

    これからの未来図は、行方不明で、なにがどう繋がっていくのか、確かな道筋も矢印も見えにくくなってるのかもしれないけど。

    そんなの、今までだって、そうだったじゃないか。

    変わらないよ。

    いつだって、自分たちが楽しいと思うことを、好きだって思うことを、そして、きっと楽しいと思ってもらえることを。

    そうなるように選んできたんじゃないか。

    そうならなそうになっても、なんとか、調整しながらやってきたんじゃないか。

     

    いつか終わりはくる。

    でも、そのとき、楽しかったね、ありがとうって、泣きながら笑えるように。

    いや、そんな想像、今からあんまりしたくはないけど(笑)

     

    失敗したっていいんだよ。

    ちゃんと振り返って笑えるようにすればいいんだ。

    それだけ。

    悔しいことも悲しいことも楽しいことも嬉しいこともいっぱいやろうさ。

    どう転んだって、オイラは。私は、嵐さんや二宮さんが選んだもの一つ一つを受け止めていきたいと思ってるの。

    変わってないよ。

     

     

    一途の連載100回おめでとう。

    これからも、連載楽しみにしています。

     

    オイラの勝手な二宮さん像をただ創り上げているだけで、たまにものすごく申し訳ない気持ちにもなるけれど。

    それでも、なんだかんだ、いつだって安心をくれる、好きをくれる二宮さんが好きです。

    これからも、きっと。

    | [嵐]一途。 | comments(0) | - |
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